成功からの転落 米ロックバンドを崩壊させた「自称投資家」「洗脳」「暴力」【長文ルポ】

バンド解散、新たな登場人物

チャド・テイラーのギターショップ、トーン・テイラーズは、96エーカー(約39万平方メートル)という敷地面積を誇る「ロック・リティッツ」のキャンパスの一角にある。ロック・リティッツは、自給自足に近い生活を続けるキリスト教プロテスタントの一派であるアーミッシュの人々のコミュニティと隣接している。キャンパス全体は、ツアー業界のためのハブとしての機能を持ち、ビヨンセやU2、テイラー・スウィフト、レディー・ガガ、アッシャーをはじめ、数えきれないほどのアーティストがアリーナ級のリハーサルホールで大々的なツアーの準備を行ってきた。敷地内には、パイロテクニクス(火工術)に特化した学校やIMAXシアター2個分のスタジオ、ラグジュアリーホテルなどもあり、すべてがここで揃うようになっている。テイラーは私に広大なホールを案内しながら、博物館にあってもおかしくないような記念品を指差す。AC/DCが「For Those About to Rock (We Salute You)」を演奏するときに登場する大砲や、ロジャー・ウォーターズの2010年のThe Wallツアーで客席の上を飛んだ巨大な飛行機などのオブジェなどだ。

ロック・リティッツのキャンパスは、専門的な資格を持つ従業員たちがミツバチのように飛び交う蜂の巣のように賑やかだ。だが、テイラーはこのキャンパスが提供するサービスをもはや必要としていない。彼の優先事項は、現在自分が直面している訴訟への対応と山積みの請求書をどうするか考えること。今年の終わりにハインズの自宅軟禁が解除された後の自身の安全も気がかりだ。

私たちはテイラーが運転するジープ「チェロキー」に乗り、街へと向かった。道中でテイラーは、LIVEの最初の挫折について語った。テイラーの口から、ティーン・ポップの隆盛やNapsterが音楽界に与えた打撃、2000年代の到来と同時に1990年代に活躍したすべてのバンドを切り捨てるというMTVの判断などが次々と出てくる。さらにテイラーは、6作目のLPを最悪のタイミングでリリースしたことについて語った。LIVEがLPをリリースしたのは、2001年9月11日の同時多発テロのたった7日後だったのだ。「本当に最悪のタイミングだった」とテイラーは振り返る。その後もLIVEは、重たい体を引きずりながら2003年と2006年にニューアルバムをリリースしたが、売り上げは思わしくなかった。バックストリート・ボーイズやKORNの時代に人気を獲得することができなかったように、フォール・アウト・ボーイやパニック!アット・ザ・ディスコの時代においてもLIVEはお茶の間の人気者にはなれなかった。2009年の解散宣言は、誰もが予想できたことだった。「メールで解散を決めた」とテイラーは言う。「エドがメールを送ってきた。文面は『LIVEとしての活動を中断したほうがいい』的なものだったと思う。30秒以内に全員が返信した。『いいアイデアだ』って。解散に反対するメンバーはひとりもいなかった」

解散後、元メンバーたちはテレビ・映画業界への進出を図った。テイラーが共通の弁護士の紹介でハインズと出会ったのもこのころだ。ハインズもまた、この業界に入り込むためのコネを探していたのだ。

ここからの内容は、誰が語り手であるかによって大きく変わってくる。それでもはっきりしているのは、ハインズに対して膨大な量の告訴状が出されていることだ。警察の報告書や刑事告訴状、司法文書、この件を長年追い続けてきたヨーク・デイリー・レコード紙の記事にすべて目を通すには気の遠くなるような時間が必要だ。そのなかでも2019年7月29日にペンシルベニア州ヨーク郡の一般訴訟裁判所に提起された「被害者保護命令」に関する文書は、ぞっとするような恐ろしさという点では群を抜いている。

この文書には、ユナイテッド・ファイバー・アンド・データ(以下、UFD)という会社の従業員の若い女性に起きた出来事が書かれてある。UFDとは、ハインズがテイラー、グレイシー、ダールハイマーと共同で立ち上げた光ファイバーの会社だ。ハインズと出会った当時、女性は20代前半だった。対するハインズは40代。電気通信会社で働いた経験はなかったが、ハインズは2014年に彼女をオフィスアシスタントとして採用した。「ある夜、ビル(・ハインズ)に招待されました」と女性は法廷で語った。「彼は私に暴力を振るったのです。私たちはセックスをしました。私は同意していませんでしたが(中略)気づくと、私は上司と関係を持つようになっていました。プライベートで喧嘩するたび、職場で仕返しをされました(中略)私の仕事は、ビルとの個人的な関係に支配されていたのです」

当時の彼女でさえ——女性は自身の安全を理由に、名前や身元の特定につながる情報を公開することを拒んだ——ハインズについて知らないことが無数にあった。ハインズが小切手の偽造で重罪の有罪判決を受けていたことも、過去に少なくとも一度は破産していることも知らなかったのだ。「暴君のような気の短さ」といまだから言えるその激しい気性も、そのころは目の当たりにしていなかった。「嘘にまみれたハインズの行為を見渡してみると」とテイラーは続ける。「あそこまで人間が邪悪になれることが信じられない」

被害者の女性は、ささいなことでもハインズは怒り、暴力的になったと言う。「自分を守ったり、言い訳をしたりしようとすると、クビにすると脅されました」と女性は法廷で口を開いた。「彼は人前で私を乱暴に押したりもしました。前に一度、ラスベガスのホテルのロビーであまりにも強く突き飛ばされたので、地面に倒れてしまったことがありました。その後もホテルの客室で突き飛ばされました。私は仰向けに倒れ、大理石の床で頭を打ちました。すると彼は私に馬乗りになり、鼻と口に手をあてて息ができないようにしたんです」


2019年、逮捕直後に撮影されたビル・ハインズ容疑者の写真。YORK COUNTY SHERIFF’S DEPARTMENT

Translated by Shoko Natori

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