麻薬密売にすべてを捧げた「無名の男」、娘が記した波瀾万丈の生涯 米【長文ルポ】

莫大な量を密輸するために

1968年になると、父とヒルはサンフランシスコ・ベイエリア屈指の密輸業者として頭角を現していた。「ほかの連中がポンド単位で運んでいたのに対し、俺たちは莫大な量を密輸していた」と父は前に話していた。その後、父とヒルはメキシコの知名度の低い場所に行くことを決意する。そこには、ティファナの関係者のいとこがいたのだ。

地域史によると、ノガレスのような国境の街は、昔から米国への薬物輸出の重要な拠点とされてきた。その歴史は、30年代後半の禁酒法時代にまでさかのぼる。メキシコの密輸業者は、アルコールはもちろん、アヘンをメキシコから米国に密輸した。時代が下るにつれて、ヘロインも密輸している。40年代から50年代にかけては、抜群のネットワークをもつ結束力の強いファミリーが密輸を監視していた。米国人が立ち入る余地はない。

それでも、父とヒルはこのビジネスにうってつけのコンビだった。すっきりとした短髪と小綺麗な身なりで、ふたりは誰にも怪しまれずにアリゾナ州とメキシコの国境を行き来した。「聖書を持っていくんだ」と父は言った。「そうして、伝道師になりすます」。それからまもなくして、ふたりはベイエリアで活動するサミュエル・T・ウィリスという地元のパイロットと知り合う。ウィリスは、第二次世界大戦で米国の義勇部隊「フライング・タイガース」の操縦士として活躍した人物だ。「(ウィリスは)中国から金を、ビルマ(ミャンマー)からルビーを密輸した」と父は綴った。

回想録によると、ウィリスは数カ月にわたって父とアレックスというもうひとりの地元の密輸業者に小型機を操縦してサンフランシスコ湾上空を飛ぶ訓練を施した。それから時を待たずに、彼らはメキシコの国境を越えて飛行機でノガレスに着陸した。1968年には、父と仲間たちはノガレスから定期的に大量の大麻を運び出し、その量は飛行ごとに増えていった。彼らは、もっと大きな飛行機の操縦方法を習得し、アグア・プリエタという国境の南にあるメキシコの小さな町からアリゾナ州のヒラ・ベンドを往復するようになった。回想録のなかで父は、この頃のあるエピソードに触れている。荷物を受け取るためにメキシコの小さな町に着陸しようとした父は、そこにメキシコ政府軍がいることに気づいた。彼らは、何者かに通報されて、父を待ち伏せしていたのだ。父が慌てて高度を上げようとした瞬間、彼らが発砲した。父はやむを得ず着陸し、走って脱走を試みた。以下が回想録の抜粋だ。

俺は必死で砂漠を走っていた。幸い、砂漠は緑に覆われた窪地に事欠かなかった(中略)迷路のように入り組んだ窪地に救われた(中略)[政府軍に追われながら]奴らを振り切ろうと銃で応戦した(中略)当時23歳だった俺は、無我夢中で走った。ようやく窪地から抜け出すと(中略)そこには別のパトロール部隊が待ち受けていた。

その数日後、政府軍は父を探しにメキシコに戻ってきたヒルを捕らえた。だが、ヒルはすぐに保釈金を用意することができた。そこでふたりは、急遽逃亡計画を練ることにした。父をはじめ、数人の密輸業者はかろうじて脱獄に成功したものの、彼らはまたもや逮捕された。父ともうひとりの受刑者は、刑務所では看守から責められ、法廷でも矢面に立たされたあげく、有罪判決を受けた。「ひどい判決だった」と、のちに父は振り返った。それでも、何年の刑期を宣告されたかは忘れてしまったようだ。そこから父はソノラの州刑務所に移送された。そこは、メキシコ政府が国境に押し寄せてきた新規の密輸業者を捕まえては送り込む場所だった。ソノラの州刑務所は、父にとってゲームチェンジャーとなった。それも、法執行機関の思惑とはまったく別の形で。

Translated by Shoko Natori

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