麻薬密売にすべてを捧げた「無名の男」、娘が記した波瀾万丈の生涯 米【長文ルポ】

ベールに包まれた「大物密輸業者」

ホイトをはじめ、父のビジネス関係者によると、ダン・マクギネスは70年代最大のコロンビア産大麻の輸出業者へと成長したにもかかわらず、その名はまだ知られていなかった。

そのことについて、ダッチは次のように話す。「ダンよりビッグな連中はいた。彼らは、10万ポンド(約4万5000キロ)あるいはそれ以上の大麻を動かしていた。最終的には、ファミリーや麻薬カルテルといったものがすべてを支配するようになったが、ビジネスモデルを築いたのは、ダンのような連中なんだ」

75年、ダン・マクギネスは夢にまで見た生活を手に入れた。彼は、バーテンダーだった自分の父が仕えていた男たちの仲間入りを果たしたのだ。米国での刑期を終えた父は、晴れて誰にも怪しまれずに大麻を密輸することができた。その量は、1000ポンド(約4500キロ)なんてものじゃない。父は、コロンビアから定期的に5万ポンド(約2万3000キロ)の大麻を密輸し、儲けを懐に収めた。父は29歳になったばかりで、東海岸に沿って積み荷を移動させるかたわら、フロリダ州フォート・ローダーレールに滞在していた。ある朝、父は州道A1A沿いを歩く若い女性に出会う。

彼女の名前はスーザン・コリカ。当時まだ19歳だった私の母は、友人を訪ねてフロリダ州を訪れていた。そこで、コネチカット出身の颯爽とした元犯罪者の父と出会った。

母は、父と初めて会ったときのことを話してくれた。「あの人は、毛の赤い犬(マサチューセッツ州ボストンの犬の保護施設から盗んだ赤毛のセッター犬)を連れていた。『きれいなワンちゃんですね』と声をかけたら、『君もきれいだ』と言われたわ」

一年後、ふたりは結婚した。その翌年に私が生まれた。母は、親としても人としても申し分ない人物だが、この記事を執筆しているいま、情報源としてはイマイチ精彩に欠ける。それは、彼女が父を愛していなかったからではない。

「本当は何が起きているのか、結局は知らずじまいだった」。母にインタビューをしようとすると、こんな答えが返ってきた。「かかわりたくなかったの。あなたを育てたかったから。それに正直に言うと、怖かったの。とても怖かった」

翌年、父はともに人生を歩むことになる女性に出会う。スーザン・グリーンバーグ(よりによって母と同じ名前)は、生涯にわたって父が心から愛した唯一の女性だったにちがいない。1982年のローリングストーン誌の記事は、彼らの出会いを次のように綴っている。「ボストンのバーで若い女性と仲良くなったマクギネスは、ふらりと公衆電話のほうに向かい、マイアミのリアジェット社に電話をかけて、次の週末はふたりをプライベートジェットに乗せてジャマイカまで連れて行ってほしいと電話口で言った」

「実際は、そうではありませんでした」とグリーンバーグは明かした。ふたりが出会ったのは、ボストンではなくコネチカットだ。プライベートジェットを予約したのは3回目のデートのときだった。「でも、あの人が私を別世界に連れて行ったのは事実です。プライベートジェットに乗ってジャマイカを訪れ、夢でしか存在しないと思っていた人生を見せてくれました。当時のあなたは、まだ生まれて6カ月だったと思います」

父は、大麻の密輸と同じくらい巧みにこの二重生活をこなした。コネチカット州からフロリダ州、あるいはボストンからイーストハンプトンのように、母と私が移動するのに合わせて、グリーンバーグは空いたばかりの物件に引っ越した。この生活がはじまってからすぐにグリーンバーグは母と私の存在を知ったが、母が彼女のことを知ったのは数年後——すべてが崩壊してからのことだった。

労働者階級が暮らすブリッジポートで幼少期を過ごした父は、フェアフィールド郡に豪華な邸宅を購入した。敷地には厩舎があり、裏庭には池もあった。両親は、生まれたばかりの私をこの家に連れてきた。だが、父の帝国の瓦解とともに私たちはここを去らなければならなかった。というのも、父がグリーンバーグと出会い、母がイーストン(訳注:フェアフィールド郡にある街の名前)の幸せな主婦を努めて演じていた頃、父はDEAの捜査線上に浮上していたのだ。父のパイロットをしていたケニー・クヌーセンの話を思い出してほしい。そう、クヌーセンが父のことを話したのだ。

Translated by Shoko Natori

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE