陪審員を惑わすイケメン極悪人、映画のような脱獄〜逃走の一部始終 米【長文ルポ】

陸運局で検索した結果、警察はファウンテン・バレーの住所に登録されている90年代後期の旧式ダッジ・ラムに行きついた。角地に立つ借家は『ゆかいなブレディ一家』に出てくる家のホーンテッドマンション版といった風情だった。つぎはぎだらけの化粧張り、薄汚れた木材、スペイン風のタイル。ピックアップ・トラックの登録者はカイル・ハンドリーという恰幅のいい男だった。

事件の指揮を取ったこざっぱりした身なりのライアン・ピーターズ刑事は、現場で張り込みをしていた警官からの報告を振り返る。「この男は居間でひたすら大麻を吸っています」と警官は報告した。「心底取り乱しているようです」

事件から4日後の10月6日、警察はハンドリーを逮捕した。敷地を捜索したところ、ハンドリー名義の医療用マリファナ栽培業者の認定書と、支払い期日が過ぎた電力会社の1477ドルの請求書、水耕栽培店の領収書が発見された。パンダペーパーと漂白剤のしみが飛び散ったスウェットも出てきた(漂白剤は汚れを落とすだけでなく、DNAも除去する)。家の外では、血と漂白剤にまみれた白いタオルでいっぱいになった黒いごみ袋の記録が取られていた。そのうち1つから切断された結束バンドが見つかり、DNA鑑定に回された。

ダッジ・ラムにはキャンプ用の屋根がついていた。捜査官が後部を開けると、「漂白剤の匂いで気を失うかと思った」とマーフィー氏は回想している。ダッジ・ラムに怪しい点はなかった。ただ1つだけ、青いニトリルゴム手袋が1組残されていた。手袋から採取したDNAは、のちにカイルの長年の友人ホセイン・ナイエリのものと一致することになる。

警察情報筋がローリングストーン誌に語った話では、ナイエリとマイケル・Sさんの揉め事はたわいもないことで始まった。大麻取引を邪魔されたことと、自尊心が傷つけられたためだ。

ナイエリはマイケルさんと個人的なつながりはなかった。豪華ヨットが立ち並ぶニューポートやハンティントンビーチから内陸に入ったオレンジ郡の荒んだ繁華街、サンタ・アナにあるマイケルさんの販売所にカイルが大麻を卸していたのだ。

マイケルさんは、小口栽培業者の1人としてカイルのことを知っていた。カイルは自分で大麻を栽培し、全身がハイになれることで知られるインディカ株「ババクシュ」のみを卸していた。カイルが卸すのは1度に1ポンド前後だった。店での取引の際、彼はマイケルさんと栽培について話し込んだ。マイケルさんが彼を裏に連れていき、在庫を見せびらかすこともあった。時々カイルも大麻を購入し、吸引した。

「今回の事件の被害者は、地球上でもっとも善良なタイプの人です」とブラウン氏は言う。「彼は麻薬常用者ではありませんでした。マリファナの純粋種にこだわり、店の商品を大事にしていました。かなり繁盛もしていました」

2012年当時、カリフォルニア州では嗜好品としてのマリファナは依然として違法だった。だが1996年、州の有権者が規制の緩い医療用マリファナ法律を承認したことで、不安症などの疾患を申請してRxカードを取得すれば、重篤患者も大麻常用者も利用可能な安全地帯が生まれた。法律の文言によれば、販売所は「集合体」または「協同組合」として運営し、小口栽培業者から大麻を仕入れ、その栽培費用を負担し、適切な対価を支払うことになっていた。だが実際は、当時の医療販売店はおうおうにしてオーナーがあぶく銭を稼ぐ成り上がり企業で、闇市場から大麻を仕入れていた。「大金を稼ぐ唯一の手段は」と元刑事のピーターズ氏は振り返る。「法の目をかいくぐることでした」


2019年、公判中のホセイン・ナイエリ

マイケルさんの店は富裕層の客を相手にしていた。30人前後のスタッフを抱え、少なくとも100人の業者と取引していた。それでも麻薬取締局の手入れを受けることはざらで、店ではジャスト・イン方式を採用し、毎日大麻を買い付けてはシフトが終わるたびにスタッフに賃金を支払っていた。「いつでも店を閉められる状態にしていました」と、マイケルさんはのちに証言した。「店のポリシーは、いつでも帳簿をきれいにしておくこと。そうすれば誰からも目を付けられることはありませんし……借りもきれいに返せます」

ナイエリはこうした業務のおこぼれを狙った。「彼はマリファナ栽培に手を染めようとしていました」と、20年以上勤めあげた検事局を退職したばかりのブラウン氏は言う。ナイエリとカイルは一緒に交配種を栽培していたが、いざカイルがそれを売ろうとすると、マイケルさんはいい顔をしなかった。「彼は『う~ん、おたくの株は純粋種とは呼べないな』という感じでした。それがホセインを怒らせたんです」とブラウン氏は力説した。「この(事件の)真の動機は、ホセイン・ナイエリのプライドだったと私は思います」

だがマイケルさんはカイルから買い付けを続け、友人仲間に紹介までした。販売所オーナーのマイケルさんはラスベガスで遊ぶのが好きだった。「金にものを言わせて楽しんでいました」とブラウン氏は言う。マイケルさんはカイルをギャンブル旅行に2度連れて行った。1度はロックスター気取りでバスをチャーターした。仲間内でも金遣いの荒い人間が、1泊6000ドルは下らないハードロック・ホテルの巨大スイートを用意した。すべて現金払いだった。一行はあちこちのクラブで騒ぎまくり、カイルとマイケルさんはポーカーとブラックジャックに興じた。2人は一緒に起業する話で盛り上がった。「彼は仲間とうまく溶け込んでいました」とマイケルさんは証言した。カイルは「一緒にいて面白いなと思っていました」


高校時代はナイエリと宿敵だったカイル・ハンドリー のちにマリファナ栽培で手を組み、マイケル・Sさん誘拐計画では共犯者として足を引っ張った

だが2012年春に2度目の旅行をしてからというもの、カイルはマイケルさんを相手にしなくなった。店に立ち寄っておしゃべりしたり、大麻を卸すこともなくなった。嫉妬深くて横柄な友人、ホセインの言いなりになっていたのだ。ほどなく2人はマイケルさんの行動を逐一監視し始めることになる。

マイケルさんに大麻を売って金を稼げないなら、ごっそり盗んで金を手に入れる。それがナイエリだ。

連邦法で禁止されていたため、銀行は大麻販売所の金を取り扱いたがらなかった。「現金稼業だということはみな――犯罪者も善人も――知っていました」とピーターズ氏は言う。傍から見れば販売所は金の生る木に見えた。「ナイエリのような人間にしてみれば」とマーフィー氏も付け加えた。「こうした連中は盗みの格好の標的でした」

ナイエリとカイルは高校時代からの知り合いで、成人してからは大麻栽培のパートナーとしてつかず離れずの関係だった。ナイエリはしだいにマイケルさん――とラスベガスでの豪遊――に固執し、販売所オーナーには底なしの富があるに違いないと思い込んだ。そして思いついた計画にカイルを抱き込んだ。「カイルは黒幕ではありません」とピーターズ氏は言う。「カイルは大量のハッパを吸う、グズな取り巻き小僧にすぎません」

当時33歳だったナイエリは、ニューポート・ブラフスにあるゲート付き集合住宅地のタウンハウスで妻のコートニー・シェゲリアンさんと暮らしていた。コートニーさんとナイエリは南カリフォルニアのおしゃれな夫婦だった。妻は20代前半ですらりと背が高く、夫は体重185ポンドの筋肉質で、ハッとするようなダークブラウンの髪をしていた。パッと見た感じはロバート・ダウニー・Jrにも似ていた。

賢くて成績優秀なコートニーさんはコスタメサの法学部に通いながら、セリトスで法律事務所の助手として働いていた。彼女の家は裕福だった。対照的に、ナイエリは問題を抱えていた。彼はコートニーさんが未成年のうちから交際を始めた。その時すでに重大犯罪で保護観察中の身だった。

Rolling Stone Japan編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE