陪審員を惑わすイケメン極悪人、映画のような脱獄〜逃走の一部始終 米【長文ルポ】

脱獄囚と人質は、スペイン風タイルが張られたローズミードのモーテルFlamingo Innに週払いで部屋を借り、身を潜めた。タクシー運転手を除く全員がパーティに興じ、ジャックダニエルのボトルとビールを煽った。ロングの回想によれば、脱獄囚は起きているときも二日酔いの時も成功に酔いしれながら、オレンジ郡保安官の記者会見をチェックしていた。だが勝利の美酒には拷問の味がにじんでいた。バク・ズォンの裁判で提示された証拠によれば、ナイエリは忠誠の証として、バクの腕にタバコの火を押し付けた。彼はその様子も録画した。

警察当局は身の安全を案じながら過ごした。ナイエリは監房の寝台に、ブラウン氏とマーフィー氏の写真をプリントアウトした紙を貼っていた。「不安でした」とブラウン氏は振り返る。「この男は人間の身体を切り刻むことができるんですから。子供が階段の下に転がる自分の頭を発見する、なんてことにはなってほしくありません」

身柄を確保できないまま数日が経過し、マーフィー氏はブラウン氏にこう語った。「世間に知らせるべきだ」。ブラウン氏はすぐにオレンジカウンティ・レジスター紙の記者とインタビューに応じた。本人はオフレコのつもりだったが、記事には脱獄を聞いた彼女のリアクションが引用されていた。「どうしよう、ハンニバル・レクターを檻の外に出してしまった」

この記事で、ブラウン氏は渦中の人となった――彼女はしばらく事件から外された。だが地方の事件が全国ニュースになり、ナイエリ逮捕という点では「結果的に吉と出ました」。脱獄で困惑してはいたものの、オレンジ郡保安官事務所は映画さながらの犯行に乗じてメディアの熱を煽った。当局は報奨金を約束し、その額は20万ドルにも上った。

脱獄囚は1月26日に北へ向かい、サンホセの激安モーテルに移った。ナイエリはこの時に、タクシー運転手を殺して遺体を始末しなければと決意したとみられる。運転手は英語が話せなかったため、ナイエリの意図を完全に理解できなかった。だがのちに語った話では、脱獄囚はロープを購入して、サンタクルズ付近の港町で彼を埠頭の端まで歩かせたそうだ。

老運転手を気に入っていたバクは、ナイエリに彼を傷つけさせまいとした。意見の食い違いは暴力に発展した。元レスラーのナイエリはバクを地面にねじ伏せて殴り、鼻の骨を折った。翌日、ナイエリとジョナサンがワゴン車の窓にスモークを張るために出ていくと、バクはロングと銃を携えて逃亡し、車でオレンジ郡まで引き返して出頭した。彼の首の周りには絞められた跡が残っていた。

「彼は恐ろしい男です」とブラウン氏はナイエリについて語った。彼女によれば、バクは最後に「あの男と逃避行するぐらいなら、一生刑務所で暮らしたほうがましだ」と締めくくった。

ナイエリとジョナサンはサンフランシスコまで車で移動し、ヘイトアシュベリー地区でラリっている様子を撮影した。2人の大脱走を阻止したのは、逃亡犯についてメディア報道を追っていたホームレスの男だった。彼はWhole Foodsの駐車場で男たちを見かけ、警察に通報した。「あのう」と男は言い、「お宅らが捜しているハンニバル・レクターとやらが、あのワゴン車でそこら中走り回ってますぜ」

当局はオレンジ市でもっとも警備が厳重な刑務所の独房にナイエリを拘留した。脱獄のせいで公判日は先送りされた。脱獄にまつわる報道で、陪審員の選定が困難になったとナイエリの弁護士が主張したためだ。だがおよそ1年半後の2017年7月、ナイエリは自ら奇妙な宣伝広報を展開した。警察当局に恥をかかせ、世論の流れを変えようという作戦だ。彼は弁護士を通じて、脱獄の様子を収めた15分間の動画を公表した。

動画は「Under Pressure」をBGMに刑務所内の日常風景でスタートし、その後『ミッション・インポッシブル』の主題歌に合わせてナイエリの仲間がエアシャフトを登る映像が続いた。ナイエリは不気味なボイスオーバーで、ロング・マーは「自分たちを助けてくれた」「英雄」だと語り、バクについては「自分にかけられた報奨金を自分でもらおうとした史上初の男」と揶揄した。

ナイエリとジョナサンはサンフランシスコにいた際に、ワゴン車の様子を撮影していた。ナイエリは大麻用のパイプを握り、ジョナサンはウィスキーのボトルを掲げた。「俺たちは誰も殺しやしない……誰もさらったりしない」と、ナイエリはカメラに向かって言った。「ただほとぼりが冷めるのを待っているだけ。今はここが俺たちの家だ。ハッパを吸ったり、バナナを食べたりね」

ナイエリは世間に訴え、愛想を振りまいた。「俺たちは世間を心底怖がらせ、不安と恐怖に陥れた。結局のところ、俺もあまり気持ちがいいもんじゃない」と本人。「この気持ちを表現するのに上品でシャレた言葉が見つからない。でも身体の全細胞で実感している。迷惑をかけた1人1人に、心から申し訳なく思っている」

それから意地の悪い顔つきになり、警察について悪態をついた。「脱獄の数年前、俺は現実をゆがめる体制から完全に押しつぶされた」と本人。「仕返ししてやりたいと思うのはそんなに間違ったことか?」

ナイエリは1970年代のカルト指導者のような決まり文句で動画を締めくくった。「いいか、 誰が警察を取り締まるんだ? 自分自身のために考えてくれ。当局を疑え。自分のために考えろ。自分のために考えるんだ。当局を疑え」


サンフランシスコに潜伏した後、オレンジ郡保安官代理にエスコートされて、カリフォルニア州サンタ・アナの刑務所に連れ戻されるナイエリ

「市民対ホセイン・ナイエリ」裁判は2019年7月に幕を開けた。こざっぱりとしたサーフィン歴26年のマーフィー氏は、検察官人生のトリを飾る裁判の陣頭指揮を取った。彼はブラウン氏とタッグを組んだ。ピーターズ刑事も検察側の席についた。

マイケルさんのルームメイトだったメアリーさんは、鮮やかな語り口の持ち主だということが判明した。「真夜中のことでした。部屋は真っ暗で、突然首の後ろに冷たいものを感じました」と彼女は陪審に語った。「飛び起きるやいなや、それが拳銃の台座だとわかりました」

証言台に立ったマイケルさんは、最初にモハーベ砂漠に行った時の謎を解明した。販売所の常連だったチャズが金脈に投資する話を持ちかけ、マイケルさんは警戒しながらも現地調査に同意し、愛車のタコマで砂漠に向かった――GPS追跡装置がナイエリに居場所を知らせているとは思いもせず。マイケルさんは気乗りせず、「とんだ詐欺だという感じがしました」と陪審に語った。

痛ましい事件を振り返る段階になると、マイケルさんは幽体離脱の体験を話しているような口ぶりだった。「彼らはワゴン車から私を引きずり下ろしました」と彼はたんたんと陪審に語った。「私を押さえつけ、ペニスの切断に取りかかりました」

検察にとってはコートニーさんが重要証人だった。当初マーフィー氏とブラウン氏は彼女を疑っていたものの、2人も「最終的には彼女を信用しました。彼女はホセイン・ナイエリから恐ろしい虐待を受けていた被害者でした」とマーフィー氏は言う。彼女の警察への協力は、2017年に全面起訴免除という形で報われた――おとがめなしだ。

コートニーさんは元夫に不利な証拠を何時間も続けた(ナイエリがイランで極秘結婚していることを知り、コートニーさんは結婚を解消した)。陪審は、コートニーさんが暴力的な結婚生活を「修正不可能なほど機能不全に陥っていた」と語るのを聞いた。

Rolling Stone Japan編集部

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