陪審員を惑わすイケメン極悪人、映画のような脱獄〜逃走の一部始終 米【長文ルポ】

警察が聞いた話では、事件当夜ナイエリが先に仕掛けてマイケルさんと取っ組み合いになり、ライアンさんはマイケルさんを押さえるのに手を貸しただけだった。ブラウン氏いわく、ワゴン車でカイルはずっとハンドルを握っていた。その間ナイエリは後部座席で、マーフィー氏の言葉を借りれば「陽気なまでにサディスティックに」マイケルさんを拷問していた。

マイケルさんが宝の山を持っていると信じ込んでいたのは本当だった。「ホセインは、マイケルさんが金を埋めていたと本気で信じていました」とピーターズ氏。だがモハーベ砂漠に到着するころには一攫千金の夢は消えていた。「マイケルさんがそのうち『次の角を左、そのまままっすぐ』と口を割ると思っていたら、彼らは車から2人を引きずり降ろしたりはしなかったでしょう」

ペニスの切断は共同作業だったというのが警察当局の意見だった。「カイルの担当でした」とピーターズ氏。「ホセインは、カイルが足を引っ張ることが分かっていました。彼が密告しないよう、暴行に――ほんの一部でも――加担させようとしました」

だがカイルは作業を嫌がった。彼は嘔吐し始めた。「奴には無理でした」とピーターズ氏。「気分が悪くなる寸前のところまで来ていました。それでホセインがケリをつけました」

彼は切除しながら鼻歌を歌っていた。

「その後、彼らはそれを袋にしまって」とピーターズ氏。「車に乗り込みました」

送還の書類が整うまでの約1年、ナイエリはプラハでのらりくらり過ごした。2014年9月、彼はニューヨークに送還された。ピーターズ刑事は、FBIが後ろ手に縛られたナイエリをJFK空港裏の分署に連行する様子を見つめていた。2年近く経って初めて、彼はナイエリを直視した。「信じられない思いです」と彼は振り返る。

パートナーと連邦捜査官2人を伴って、ピーターズ氏は手錠をかけられたナイエリをオレンジ郡に連れ戻した。カリフォルニア州当局がサディストを裁きにかけられるよう、FBIは連邦起訴を取り下げた。

ナイエリはディズニーランドから8マイルほど離れた、サンタ・アナのオレンジ郡男子中央裁判所に収監された。ここで彼は、ハリウッド映画ばりの脱獄劇を演じた。

ナイエリは刑務所の「ホワイトバンド組」だった――所内でもとくに規制が厳しくない部類の連中には白いリストバンドが与えられた。「酒気帯び運転で地元の刑務所に服役するような連中です」とマーフィー氏。「彼らは共同房に入れられます。(受刑囚の)点呼は1日1~2回ほど行われます」

この領域で、ナイエリは新たな仲間を作り始めた。最初に目をつけたのは、他人の影響を受けやすい10代の若者ジョナサン・テイエウだった。彼は車からの発砲事件(銃を撃ったのは彼ではない)で殺人罪に問われ、地元のベトナム系ギャングとのつながりも疑われていた。

1960年代に建てられた刑務所を仕切っていたのは受刑囚だった。脱獄後に行われた大陪審の捜査によると、所内の有線カメラはたまにしか撮影されていなかった。受刑囚はシーツで「ラットライン」――手製のロープ――や「囲い」をこしらえ、寝台周辺にプライバシーを確保していた。

ナイエリは内部協力者の目星をつけた。彼にほだされた英語教師だ。「彼は第二言語として240時間分の英語のクラスを受けていました」とブラウン氏は振り返る。「完璧な英語を話せるのに!」。その女性教師は――のちに逮捕されるが起訴は免れた――ナイエリに刑務所の位置を示したGoogle Mapを印刷してナイエリに渡したと思われる。

ナイエリが切断工具をどこから入手したのかは定かでない。だが、不注意な契約業者が工具を受刑囚の手の届く範囲に置き忘れることは以前からあった。脱獄の数月前にも2度、やすりのこが「囚人エリア」から見つかっている。ナイエリは金属製の寝台ベッドの角を切り落とし、背後の換気口へのアクセスを確保した。ナイエリは換気口も切断し、身体を潜り込ませて整備用トンネルに入った。壁の内部に入ると、彼はシーツで作ったはしごを使って換気シャフトの寸法を測った。ナイエリは屋根への登り口をふさいでいた鉄格子を切断した。屋根は5階分の高さがあり、鉄条網で覆われていた。


ナイエリが仲間とオレンジ郡男子中央刑務所から脱獄したようすを収めた動画からの静止画像

計画も終盤に差しかかり、ナイエリは3人目の共犯者としてバク・ズォンを抱き込んだ。背中に龍のタトゥーをした40代のズォンは殺人未遂で勾留され、公判を控えていた。オレンジ郡リトルサイゴンの賭博場で男に発砲したのだ。彼は裏の世界とつながっていた。

塀の外にいるバクの仲間が携帯電話などの禁制品を揃え、刑務所内への持ち込みを手伝った。受刑囚は鉄条網を切断し、シーツで作ったロープを屋根から垂らして仲間からリュックを受け取った。「脱獄の夜」について大陪審はこう説明している。「3人には必要な物資として、3人分の着替え、3人分の靴、(そして)ロープ2巻が揃っていた」

ナイエリは大胆にも、脱獄の様子を動画で撮影した。ベッドの脚を外し、換気口を開け、トンネルに潜り込んだ。外から手に入れた携帯電話のカメラに向かって、親指を立てて見せたりもした。

2016年1月22日の夜明け前――ナイエリの裁判が始まる1月前――脱獄囚は屋根の脇から懸垂下降した。警報は鳴らなかった。サーチライトが当たることもなかった。刑務所の隣にはオレンジ郡保安官事務局の駐在所があったが、誰も窓の外に目をやらず、途中で引っかかったバクに目を留めることもなかった。バクは10分ほどカラビナに手間取り、ようやくカラビナを外して地上に降りた。

逃走車の運転手――禁制品を準備したバクの仲間――が男たちを車に押し込んだ。脱獄囚はオレンジ郡をあちこち走り回り、酒と金と銃を集めた。

脱獄が発覚したのはおよそ15時間後の点呼の時だった。保安官代理がいなくなった者を特定しようとしたとき、受刑囚の間で喧嘩が勃発した。これもナイエリの計画の一部だった――保安官事務所の考えでは、注意を逸らすためのやらせだった。

脱獄は恐怖と疑念で迎えられた。深夜に電話が鳴ったとき、ブラウン氏はWords Withs Friendsをプレイしながらうとうとしていたところだった。「ピーターズ刑事からの携帯メッセージでした」と彼女は振り返る。「まっさきに、『大変、コートニー。彼はコートニーを殺すつもりだ』と思いました」

逃走車の運転手が彼らを車から降ろすと、ナイエリ一行は71歳のタクシー運転手、ロング・マーに電話した。ロングはサンタ・アナのレストランで男たちと落ち合い、一晩100ドルで運転主役に同意した。彼は一行をロサンゼルス近くのTargetまで連れて行き、そこでナイエリは携帯電話と服を調達した。調達品をトランクに積む間、ナイエリはバクにナイフを突きつけたと思われる。「タクシーの運転手をバラすぞ」と彼は言った。

のちにロングが記者に語ったように、彼は男たちから銃を突きつけられてホンダの後部座席に座らされた。男たちはロングの名前と免許証を使って小切手を現金化し、モーテルに宿泊した。逃げようとすれば囚人らに殺される、と老人は思った。どのみちそういう話になるだろう。

もう1台車が必要になった3人組は、CraiglistでGMCサバナの白いワゴン車を見つけた。バクが試乗と称して車を受け取り、そのまま返却しなかった(この件に対する彼の責任について、陪審は意見がまとまらなかった)。

Rolling Stone Japan編集部

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