陪審員を惑わすイケメン極悪人、映画のような脱獄〜逃走の一部始終 米【長文ルポ】

ナイエリは二車線の橋を疾走してバルボア・アイランドへ向かった――かつてヒッピータウンとして知られた街も、今では大豪邸が立ち並んでいる。ドラマ『アレステッド・ディベロップメント』の主人公一家がバナナスタンドを所有していたのもここだ。ナイエリは穏やかな水面に浮かぶヨットを走り過ぎ、島の商店街やフローズンバナナ店の列(ドラマではなく現実の)を駆け抜けた。

後方の白バイ警察との距離が1ブロックに詰まったところで、ナイエリは島の西端に向かって急旋回した。再びターンしたところで、警察は彼を見失った。ナイエリはタホを路地に乗り捨て、現金と大麻を掴んだ。警官は側道に突っ込んだタホを発見した。ブレーキが焼けた匂いがし、ボンネットはまだ熱を帯びていた。

ヘリコプターと2台の応援パトカーが到着したものの、ナイエリは見つからなかった。水中に身を潜め、泳いで島を離れたのではないかと警察は考えている(裁判で、ナイエリは友人宅で一夜を過ごした後タクシーで帰宅したと主張した)。

タホはコートニーさん名義で登録されていた。警察は未明にタウンハウスを訪れ、彼女名義のSUVがカーチェイスに使われていたと告げた。コートニーさんはぼんやり、その夜車を使っていたのは夫だと警察に言ったが、その後発言を撤回し、警察を追い返した。

夜明け近くになって、ナイエリが全身びしょぬれで現れた。「警察がここに来たんだろ」と彼は言った。ナイエリは何も説明しなかったが、コートニーさんが警察と口をきいたことに怒りを爆発させた。車が盗まれたという偽の警察調書を作成するようコートニーさんに命じ、翌朝コートニーさんは言われた通りにした(裁判で、ナイエリはコートニーさんに偽証を命じたことを否定している)。だがその前に、コートニーさんはナイエリをカイルの家に送り届け、ひと眠りさせた。

タホを押収したものの――当時警察は、違法な監視カメラの映像が何時間分も残っていたことを知らなかった――マイケルさんに対する計画を阻止するには至らなかった。むしろ事態は加速し、おぞましい結末に向かって行くことになる。

裏方仕事の手伝いが必要だったナイエリは、コートニーさんに使い捨て携帯を購入させた――哀れなカイルの尻叩き役までも命じた。

犯行の2日前、コートニーさんを連れてニューポートの誕生日ディナーに行った。帰宅途中にマイケルさん宅に寄ると、白い軽トラックが停めてあった。数日前にナオミさんが、友人に頼んでフォード・エコノライン――犯行に使われた車――をレンタルしていたのだ。

2022年に警部補を引退し、現在はNFLタイタンズで警備顧問を務めているピーターズ氏は、砂漠での犯行は非の打ちどころがないほど完璧だったと述べた。状況がナイエリの手に負えなくなった場合を除けばだが。「良く練られた計画でした。ですが、これを考えたのは1人の男です。彼が黒幕です。問題は誰かに仕事を任せると、たとえばカイルに給油させたりすると、ドジを踏んだという点です」

マイケルさんに対する犯行は10月2日未明に実行され、犯人グループは明け方近くにマイケルさんとメアリーさんを砂漠に置き去りにした。だが午前8時になると、ナイエリも始末屋が必要だと気づいた。カイルがまたヘマをやったのだ。マイケルさん宅付近の駐車メーターにトラックを停めたのだ。じきに違反切符を切られ、誘拐と自分たちが結び付けられてしまう。

ナイエリはコートニーさんに駐車メーターへの課金を命じた。新たに使い捨て携帯が4台必要だった。ナイエリはカイルのへこんだダッジ・ラムをファーストフード店の駐車場に乗り付け、そこでコートニーさんが携帯電話を手渡した。ナイエリがトラックの窓から身を乗り出して電話を受け取る際、彼の手が腫れて関節にあざができているのがコートニーさんの目に留まった。「後で説明する」と彼は言った。

その後3日間、ナイエリはフレスノ付近に身を潜めた。コートニーさんは使い捨て携帯に電話をかけて連絡を取ろうとした――だが電話に出たのはナオミさんだった。エコノラインは10月3日に返却された。だが10月6日になるとナイエリも自宅に戻ってきた。不機嫌な様子で、コートニーさんに車を借せと言った。「カイルの野郎が電話に出ないんだ」と彼は言った。

ナイエリはピンク色の紙を振りながら戻ってきた――カイルの家に張られていた家宅捜査の控えだった。夫婦は大慌てで証拠隠滅に取りかかった。コートニーさんは使い捨て携帯のSIMカードをトイレに流し、ナイエリは本体を破壊した。家にあった他の電子機器も壊して、パシフィックコースト・ハイウェイのガソリンスタンドに捨てた。

コートニーさんは郡内のあちこちに置きっぱなしにしていた追跡装置を回収するため、ナイエリ用に車を1台レンタルした。2人はカイルの家に車を走らせた。ナイエリはTV、時計、その他貴重品を持ち出し、売って現金に換えてこいとコートニーさんに命じた。

いつもは自身満々なナイエリの態度も動揺していた。10月9日、彼はカイルの罪状認否にコートニーさんを差し向けた。コートニーさんは戻ってくると、カイルが誘拐で起訴されたことを伝えた。ナイエリは逆上した。コートニーさんは当時を振り返り、偏執症患者のようだったと証言した。

夫は片道航空券を購入し、4日後の10月14日にロサンゼルス国際空港から、アメリカとの間に引渡し協定が結ばれていない生まれ故郷イランへ向かった。

法の手を逃れるためにナイエリがテヘランに飛んだのはこれが初めてではない。

ホセイン・ナイエリは1978年にイランで生まれ、中学卒業後に母親と妹の3人で移民として渡米した。医師として訓練を受けた父親は、すでに伯父とともにアメリカに渡っていた。一家はカリフォルニア州セントラル・バレーのフレスノに定住した。

渡米した当初、ナイエリはペルシャ語しか話せなかったが、街の北側にあるクロヴィス・ウェスト高校ですぐに英語を習得した。彼はレスリング部に入った。当時の写真に写る彼の腕はホセ・カンセコのようで、上腕二頭筋は波打っていた。ナイエリはナオミさんと親しくなり、のちに彼女の夫となるライアン・ケヴォーキアンとは同じクラスのレスラー仲間だった。

カイルとナイエリは別のグループに所属していた。最上級生のとき、2つの男子軍団が1人の女子生徒をめぐって対立した(具体的には、ホセインの友人がカイルの彼女を横取りした)。カイルは援軍としてフットボール部の友人を連れてきた。喧嘩で一番の痛手を負ったのはナイエリだった。キックが顎に入り、脳震盪を起こして歯が折れた。彼の顎は何カ月もワイヤで固定された状態だった。

1997年に卒業した後、ナイエリは海兵隊に入隊してサンディエゴの新兵訓練に参加した。だがナイエリは落ちこぼれだった。最初は、基地内の洋品店で仲間2人とポロシャツを万引きしたところを捕まった。その次は怪我だった。ペンドルトン基地に駐留中、サーフィンに行って波にもまれ、岩に激突した。衝撃で彼は意識を失った。友人の1人が彼を水から引き揚げた。だがナイエリは頭蓋骨骨折と鼓膜損傷で入院した。

退院して兵舎に戻るとほぼ同時に、彼は無断離隊した。「キャンバス袋を掴んで車に放り投げた」と、彼はのちに陪審に語っている。フレスコで軍に居場所を突き止められると、47日間の監禁処分を受けた。彼には選択肢が与えられた。降格処分を受けて海兵隊に戻るか、「懲戒」除隊するか。ナイエリは後者を選んだ。

高校時代のナイエリは大麻を常用していなかったが、友人からマリファナゲームを教わった。彼は植物としてのマリファナに魅了された。2003年になるころには2LDKのマンションで栽培していた。趣味が仕事に転じた時期で、コートニーさんと出会ったのもちょうどこのころだった。

Rolling Stone Japan編集部

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